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三国志小説論

白沢図

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strap選

 「その様な大言は、諸葛の家を滅ぼすぞ」

  と強い語気で、彼の妹を娶った張承は危惧し諌めたが、

  「なぁに、勝算些なき事では無い。簡単な事だ」

  と、恪は事も無気に笑ったそうだ。ある時そう人に聞いた。「自らを過信する事、甚だ厚い」と批難する人も多くあったが、この人の不敵さは尊敬に値すると今でも思う。その彼の挑戦的な精神が、彼の生涯を通して、幾多の功績を作り上げてきたのであるから。彼を軽挙妄動、暴虎馮河と批難する声も今だに強くあるが、小心翼々としていては、彼自身を生かす事は出来なかったであろうし、私は進取果敢と評したい。これは、彼の叔父である蜀の丞相、諸葛亮が没す一月程前、恪三十二歳、七月の話である。魏の曹叡が自ら兵を率いてきた頃で、皆は撤兵で多忙な頃であったと思う。

 諸葛瑾の長男、恪は、字を元遜と云い、博識碩学にして賢哲、口給能弁。世にある万千の書物に通じ、それら全てを諳んじ、解説する事ができた。若年の頃より才名が高く、後の従中張休、平尚書事顧譚、偏将軍陳表らと共に、太子孫登に道芸を講論し、それと同時に賓友として遇されていた。又籌略のみに勝れた父とは違い、恪は緯武経文。体躯に能れ、乗馬を好み、前線指揮に於いても類い稀なる力を発揮できた。後には全軍を率い、巨大な戦果を揚げる人と成る。体毛は薄く、鉤鼻で額は広く、口は大きく、声量は大きく高かい。諸葛恪は確かに自信家ではあったが、颯爽とした立ち姿の若々しい男であったと、私は記憶する。

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