濃醪@濃醪A濃醪B濃醪C濃醪D濃醪E濃醪F
呉書シリーズ@
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鄭氏は、呉臣団結の要であったと思う。本来殺伐とした軍内に、愉しみと安らぎを作り出す事の出来る人物であった。邪を抱く者には義憤を抱き、善良な人々には親しく接する。彼はその性質から、多くの人々から信頼され、愛されていた。我々の強かった絆は、彼が作り出した物と謂っても過言では無いだろう。 彼は失敗した者を視ると、必ず笑い者にし、人々を楽しませた。そしてそれと同時に、その者への配慮の為、自分の似た様な失敗談も皆に語って聞かせるのである。鄭氏の話で楽しんだ手前、責任ある立場の者も失敗した者を強く罰する事が出来ず、多くの有能な人が救われた。又、失敗した者を責める事が出来ぬ為、それを発端とした諍いや憎悪も起らなかったのである。仮に、失敗した者を必要以上に批難する者があれば、事情通の鄭氏はその批難者の過去の失敗、私生活の醜聞と、皮肉たっぷりに暴露し、より多くの恥を掻かせた。不正を働く者や、謬ちを隠蔽しようとする者がいれば、必ず意地の悪い罠を仕掛け、本人の口からそれを白状させた。そして、私の様な年若い人が困難に衝つかった時、態々と訪ねて励まして呉るのが、この鄭氏であったのである。傷付いたり悩める人々に対しては、己の事の様に同情し、苦しみを共有して呉た。 私が于将軍の身の回りの世話をしていた頃、鄭氏は良くその仮宅を訪れた。話に依れば、糜氏とも度々呑んでいたと云う。二名は美髯公の一件以来、各々の理由で呉に留まっていたが、二人にとって此処は、恐らくは愉しい場所では無かったであろう。であるから、鄭氏の存在にその心安らぐ事、如何ばかりであっただろうかと想う。 彼が蜀へと赴く事になったのは、その人柄が、鋭き弁説などよりも敵対国への説得に適していると、そう大行皇帝陛下が考えられたからに違い無い。彼は勝手に帝号を自称する蜀の劉備を、陛下では無く殿下と呼び、大いに恥じ入らせている。この様な事は、彼の人間的魅力無しに、容易に出来る事では無かっただろう。 彼は己の失敗を語って迄皆を楽しませていたし、失意の人を慰め支えていたから、心優しき人として、身分の上下や男女を問わず、あらゆる階層の人に人気があった。辛辣な皮肉と反語、そして諧謔趣味を、我々は好ましく思っていたものだ。 |