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三国志小説論

 建安二十四年十二月。我が軍が麦城の戦いに勝利し、臨沮からの報せが届くと、江陵で大規模な祝勝が開かれた。凱歌を歌う人々が溢れる時、于将軍と、その身の回りの世話をしていた私もその中にあった。しかし歓び溢れる人々の中に有って、于将軍だけはその様な表情を見せなかった。それは無論、魏への忠誠から、政治的理由の故に嬉しくはなかったのかも知れない。しかしこの様な席で祝いの言葉一つ言わなかった将軍の剛直は、捕虜としてあまり巧いやり方ではなかったであろう。于将軍はその無表情を、虞小父に咎められる事となった。

「祝勝の場に有って、その不景気な面は何だ!貴様は降伏したのであるから、我等を少しは愉しませてはどうだ!」

 虞小父という人は、潔い人を愛する余り、降伏した人、裏切った人、納款した人等を殊更憎むという難しい人であった。己の道徳観念に確りと芯を持っている人ではあったが、しかしそれを信奉する余り、他人にそれを押し付けがましく説く人でもあったのだ。この為、虞小父にとって敵に降伏した于将軍は、軽蔑すべき人種の内であったのである。この時于将軍に向けられた言葉も、それは矢張り厳しいものであった。

 しかし、

「おお、それは妙案。曹操は配下にも芸楽の習得を推奨したと聞き及んでおります。于将軍も無論、音楽には深く通じておられますし、ここは一つ聴かせて戴こうではありませんか。本日の余興としては、悪くありませんな」

 と、宴会の席には必ず姿を現す鄭氏が小父の言葉にこう大声で述べると、

「うむ。余も曹操が仕込んだという、武人の楽には興味がある」

 と、奥の大行皇帝陛下も申された。

 虞小父の罵倒は、鄭氏の機転によって将軍の演奏を聞く為の言葉へと変質してしまった。鄭氏という人は優しい人で、弱き者を見ると、助けずにはいられない、という人であったのだ。私も含め、後にも多くの人々が鄭氏には救われたが、この時鄭氏の言葉は、于将軍を助ける為に発せられたのである。

 それで虞小父は、

「貴様、演奏が出来るなら、何かやってみよ」

 と言う破目になった。

 虞小父の言葉に将軍は、

「では篳篥を」

 と短く答え、無表情のまま篳篥を取り出す。

 しばらく火鉢で指と篳篥を暖めると、将軍は静かに吹き始めた。

 

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